寺脇康文が病気で現在は激やせで白髪!結婚した嫁(妻)と子供の写真あり。

2000年から放送されている『相棒』シリーズに出演されて以来、正義のために戦う熱い男を演じることが多い寺脇康文さんや家族についてご紹介していきたいと思います。

寺脇康文が病気で現在は激やせしたって本当?

『相棒』を卒業して以来、寺脇康文さんが病気を患って痩せてしまったのではと心配の声が上がっています。メディアに出る機会も多くないため、久々に見かけた際に体型の変化はかなり目立つと思います。

こちらが相棒時代の寺脇さんですが、かなりしっかりとした体格に見えますね。

しかし寺脇康文さんが痩せた原因は、病気ではありませんでした。寺脇康文さんは運動がとても好きで、体を鍛えるのが趣味だと公言されています。

悩んだときは運動が一番!走るとすっきりする。

体脂肪率10パーセントをキープすることを目標にしているらしく、現在も元気に活動しているとのことでした。

寺脇康文の白髪は病気が原因なの?

2017年に放送された『刑事ゆがみ』に出演した際に、真っ白な髪型で出てきた寺脇康文さんに驚かれた方は少なくないと思います。

この時に演じられていたのは「交番勤務で定年を果たした警察官」でした。見た目が若く見える寺脇康文さんは、『刑事ゆがみ』に出演した際、当時55歳です。

55歳の白髪は普通に思えますが、見た目が若いことで違和感を感じた方が多かった上に全盛期よりも痩せているように見えるため病気が影響していると思われたと考えられます。寺脇康文さんは一切病気を患っておらず、髪も若々しく黒いままなので『刑事ゆがみ』にはカツラで臨んだと思われます。

寺脇康文の嫁(妻)は誰なの?

寺脇康文さんには長年連れ添った奥さんがいますが、一般の方のため、ほとんど情報がありませんでした。

出会ったのは、寺脇康文さんが劇団の『スーパー・エキセントリック・シアター』に所属していた頃で、奥さんも同じく女優として所属していたといいます。結婚を機に女優を引退したとのことなので、今は全く活動していないようです。

寺脇康文さんが『スーパー・エキセントリック・シアター』に入団していたのは22歳からなので、奥さんと出会って30年程の中だと思われます。

寺脇康文の嫁の写真

ここで気になるのが、寺脇康文さんの奥さんの顔ですね。

現在は様々な役どころを演じられる方が重宝されるため、顔が特徴的な方も多いですが、まだ寺脇康文さんが20代の頃はかなり顔に重きが置かれることが多い気がします。

ということはかなり美人な奥さんをお持ちなのではと思い、張り切って調べていきましたが、写真は一切見つかりませんでした。

『スーパー・エキセントリック・シアター』は、タレントの三宅 裕司さんが座長を務める劇団なので、個人情報はきちんと管理されているようです。劇団にいたくらいなので、顔写真くらいはあるだろうと考えていただけに少し残念です。

寺脇康文の子供は何人いるの?

実は寺脇康文さんには3人のお子さんがいます。

女の子2人に男の子1人とのことで、既に3人とも成人されています。寺脇康文さんのお子さんは一般の方のためこれ以上の情報はありませんでした。

寺脇康文の子供の写真

寺脇康文さんのお子さんの顔写真についても調べてみましたが一般人ということもあり、一切写真はありませんでした。

あまり家族について語らない寺脇康文さんですが、2011年に放送された『おひさま』で主人公の父親役を演じられた際にこう話していました。

母親に叱られた子どもたちに「まあまあ気にするな」となだめる役。

芝居以外は何もできないから嫁さんには「寺脇家の長男」と言われる。

この頃は、まだお子さんたちも成人されていないのか、何となく家の中の様子が想像できますね。奥さんも、大きなお子さんを4人も育て上げるなんて根性のある方に思えます。

寺脇康文さんの熱い演技は、奥さんや家族の支えがあったからこその代物ですね。

寺脇康文の若い頃。

寺脇康文さんが俳優になろうと決めた原点と聞かれ、寺脇康文さんはいつもこう答えていました。

1968年に放送された『バンパイヤ』に出演していた水谷豊さんの演技に感動したから。

また、漫画家にも憧れた寺脇康文さんは、小学校の文集には漫画家かスターと書いていたそうです。

こちらは寺脇康文さんの経歴になります。

大学受験に失敗し、デパートの地下食材売り場でアルバイトしていた。働いていたデパートのエスカレーターに乗っている最中、アルバイトの初給料を見ながら、これからの自分は何をやって食べていけるか考え、出た答えが俳優であった。

名古屋の俳優養成所に入所。養成所卒業後、上京して1984年に三宅裕司主宰の劇団『スーパー・エキセントリック・シアタ』(SET)へ入団。同年11月、SETの第17回目公演『超絶技巧殺人事件』でデビュー。

1987年、同劇団の岸谷五朗、山田幸伸と共にコントユニット・SET隊(せったい)を結成。SETの公演内やラジオドラマなどでコントを披露していた。

1994年、岸谷五朗と共にSETを退団し、企画ユニット「地球ゴージャス」を結成。舞台や映画、テレビドラマなど活動の場を広げる。

舞台を経て俳優になった寺脇康文さんが、初めて出演したドラマは追いかけたいの!でした。名前がない役ですが俳優としての1歩を踏み出します。

また、寺脇康文さんは『追いかけたいの!』に出演した3年後に『刑事貴族2』で憧れの水谷豊さんとの初共演を果たします。その後、約2年間共演してきた水谷豊さんと寺脇康文さんですが、2000年に再び水谷豊さんとタッグを組んでドラマに出演することが決まりました。

寺脇康文と「相棒」

2000年に放送された『相棒』で水谷豊さんの相棒として出演された寺脇康文さんは、明るい人柄で人情に熱い役を演じていました。この役について寺脇康文さんはこう語っています。

自分の理想の男性

寺脇康文さんの印象と役の印象はかなりマッチしていると思います。

しかしこの『相棒』に出演したことをきっかけに、寺脇康文さんは憧れだった水谷豊さんからの卒業を決意されます。女性セブンではこのように記事が出ていました。

2000年スタートの『相棒』で亀山薫役に抜擢されると、毎回、リハーサル前から水谷やスタッフと念入りな打ち合わせをしながらドラマ作りに励んだ。寺脇には、『相棒』を人気シリーズにしたのには、自分も少なからず貢献しているという自負があり、撮影現場で、意見することも多くなったという。水谷が考えた演出プランと違うプランを出すこともあったようだ。

恒例だったリハーサル前の打ち合わせも行われなくなり、寺脇が意見を言っても、撮影に取り入れられないことが増えていった。このころ、寺脇は行きつけの和食店で、俳優仲間にこんな苦悩を打ち明けていた。
「結局、水谷さんには気持ちが届かなかったのかもしれない」
「水谷さんとは、空気が違うのかなって思ったんだよね…」
「水谷さんから卒業する時期なのかもしれない!」
寺脇の『相棒』卒業が発表されたのは、それから間もなくのことだった。

良いものを作りたいという思いが、いつの間にか自分よがりになってしまったところもあったようです。

ドラマ「相棒」

寺脇康文さんは、出演していた『相棒』の人気ぶりから有名になったといっても過言ではありません。ドラマのあらすじはこのようになっています。

優秀なキャリアながらも、その変人ぶりから警視庁内の窓際部署「特命係」に所属している係長の杉下右京(演:水谷豊)が、自身の下についた相棒と共に超人的な推理力・洞察力を駆使して活躍していく刑事ドラマ。いわゆるバディもの。

このドラマに登場する相棒は、今までに4人変わっており主人公が変わり者のためか、主人公の下につく相棒もかなり個性的な面々が集まっています。1話完結方式で、基本的にいつから見てもストーリーに支障はありません。

年齢の割に演技の幅が狭いと言われ、業界では起用しにくいとの声も上がっていますが、既に2019年1月に放送予定のドラマの出演も決まっています。業界で生き残っていくのは至難の業かと思いますが、これからも熱い役者魂を発揮していけるように応援しています。

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